New Orphans World

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私達はマリーとスプリングと言います。
日本人とアメリカ人のハーフです。
私達は日本の兵庫県、神戸市に住んでいます。好奇心旺盛な二人組みです。よろしく!

私達のプロファイル
私達は子供のころからいろいろなボランティアのお手伝いを両親と一緒にしてきました。皆さんも記憶に新しいと思いますが、1995年に 発生した阪神 大地震では、私達の両親と他のボランティアのグループの人たちと協力して、物資の調達をしたり、被災者を励ましたり、仮設住宅の慰問をしたりと、多くの被 災者達の救済に当たりました。 当時はまだ小さかった私達ですが、とてもいい経験になったと思っています。

私達が孤児院の支援を始めるきっかけ 2007年の4月、私達が東南アジアに旅行に行った時のことです。私達はスマトラの津波で被災した子供達を支援しているインドネシア 人、アンカさん に会いました。アンカさんは教育によって子供達を助けたいという思いを持っていて、スマトラ沖地震の時にボランティアで来ていたヨーロッパの団体から一年 間の約束で援助を受け、それによって地元の孤児院の運営を助けていました。その援助により先生を雇い、教材や、また生活用品を購入することができました。 しかし、一年間の援助が終わり、アンカさんは新しいスポンサーを探していたところでした。彼の優しさ、また引き続き孤児院を助けたいという彼の強い思いに 引かれ、私達は孤児達に会って見たいと頼んだのです。
私達は孤児院の中へ案内され、そのすさまじいコンディションにショックを覚えました。子供達の寝室はまるで牢屋のようで、トイレはとても不衛生で、天井は 雨漏りがする状態でした。 そして数人のスタッフがスマトラ沖の津波によって増えた沢山の孤児達の世話をしていたのです。日本とあまりにも違うその状況に私達はただただショックを隠 しきれませんでした。
私達は孤児院の責任者の人と話すチャンスがあり、日本に帰ったらこの孤児院のために寄付を 集め送ることを約束しました。
インドネシアの経済は日本と比べるとだいぶ違います。例えは、日本の コンビニで買う100円のおにぎり一つで、インドネシアでは5人の子供達の夕食をまかなうことができます。
ほんの少しの寄付でもインドネシアではとても多くの役に立つのです。

私 達のゴール
私達は日本に帰ってきてすでに1年以上経ちますが、まだ孤児達のために何もできていません。時間が経つにつれて薄れ ていく気持ちをもう一度奮い立たせるため、私達は「私達には今何ができるか」といろいろと考えていました。そして、これを思いついたのです。
2008年、4月に私達はこの孤児院の実態を多くの人たちに知ってもらうため、また、スポンサーや寄付を集めるために、沖縄から北海道まで自転車で旅をす ることにしたのです。 .

これか らの展望
私達は去年カンボジアにある孤児院にも訪問する機会がありました。これから私達はこれらの孤児院 の孤児達一人一人にスポンサーを見つけようと考えています。そして、NPOを立ち上げ、東南アジア全域の孤児院のための支援をしていこうと思っています。